ISHII SATOSHI -Kawa no Maker- >> Fly Fishing >> column:なぜ堰堤があるのか
砂防のため?治山のため?土石流が発生したら困るから?発電ダムへの土砂堆積を防ぐため?建設関係者やその地域の生活資金を税金で補填するため?
太古の昔からの美しい自然の中に、あんな物体をなぜ作るのだろうか。これまで数千年続いてきた人と川との関わりにおいて、ここ百年でこんな堰堤やダムを作っていいんだろうか。数千年後にも川は流れているけど、今の時代に作った堰堤やダムはどう評価されるだろうか。
都市では川の存在は無い。治水されて荒れることのないコンクリートの川はヘドロが溜まり、臭いものにフタをするかのように近づきにくくしたり、見えにくくしたり、暗渠にしたり。関わりのないものに変わっていった。
樹木乱伐による山の荒れに対し、明治時代に砂防法が成立した。今日では、薪炭や建築用材等を山に求めなくなり、明治時代や戦後の荒れた山ではなくなり、豊富な樹木が土砂災害を減らしてくれている。
本来は流れるはずの土砂が流れてこなく、海の砂浜が減少しているというのも耳にした。
観光地に堰堤やダムはあるだろうか。堰堤があったら興醒めだ。天然湖は歴史もあって観光に来る人がいる。ダム湖へも観光に来る人がいるけど、ダム湖に特有の破壊された岸が周囲にくっついた人造湖だよ。ダムを好む人もいるけど、自然や風光明媚に対する感動ではなく、人が作ったコンクリート構造物に対する感動なんだ。その物体は犠牲になったものがあって成り立っているけど、その構図は美しいだろうか。
道路があったり、鉄道があるのは歓迎だ。人が自然との関わりを持つために。そこで暮らしたい人だっていた方が良い。災害は当然あるので、それを加味して暮らさないといけない。何千年も前から山と川と人が存在する。あまりに危険な場所には住まない。災害で脅かされる場所はやめておこう。けれど、災害があったら税金を入れて道路を直した方が良い。関わることは大切で、都市に住んでいる人が、美しい地域に訪れるのは大切だから。
釣りをしていると堰堤やダムをよく見かけるけど、うんざりだ。そこの地域住民に対しても残念な思いが浮かんでしまう。ここは良い地域なんですよって他人にも勧めたいのは、美しいところなのだ。堰堤やダムが増えたら、外からの訪問者も、その地域の人も郷土を愛せずに寂れるんじゃないかな。
棲んでいる魚に対しては申し訳ないと思う。人や住民なら主体性をもって選択できるのに、魚や生き物は人間の勝手を押し付けられる。写真の魚道は、途中から機能していなかった。魚が溜まってしまい、鳥に食われるんじゃないかな。遡上の時期にはメンテナンスするかもしれないけど、本来の川を想像したら、所詮は残念な人間の作り物だなと思う。もし自分が鳥だったら、禁漁期に魚道を産卵のために飛び上がってくる魚を待ち構えたい。猟銃に撃たれるかな?この堰堤の上流にもまた堰堤があったけど、そこには魚道は無かった。道路からもよく見えたこちらの堰堤の魚道は、パフォーマンスのためだと思う。
堰堤の上に行くにつれて釣れる魚は減るし。堰堤が連続してると型も小さいし。放流された弱い魚や棲家を阻まれた魚が、堰堤下にちょっと溜まってるような、そんなもの足りない川も思い浮かぶ。堰堤が必要な場所は絶対にあるし、必要だと思う。でも必要以上に多いと思う。なるべく減ってほしい。見苦しい堰堤だらけの川は恥ずかしい。特に次世代に対して。必要なのかみんなも考えてほしい。
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